パワハラ上司の顔色をうかがいながらの仕事
-転職を考える前から、パワハラがあったそうですね。
最初から会社の雰囲気はそうでした。
私の上司は古典的なタイプで、怒鳴ることも珍しくなく、意見が変わることも当然でした。
彼は食事の際にすら「上司が食べ終えたらつまようじを差し出すのは当然だろう」と主張するほどの人物で、しかも仕事を私に押し付けることが多かったです。
上司の企画書であっても、その下地作りは私の役目でした。
重要な文書も、ぎりぎりまで手元に置かれており、出す日にちが迫ってから「明日までに直せ」と指示がありました。
上司はバブル世代で、仕事の質よりも勢いを重視する人でした。
実際の業務はあまり得意ではありませんでしたが、仕事を他人に振ることは上手でした。
部下の成果は自分のものにする一方、失敗の責任は負いませんでした。
しかし、逆らうと人格を否定されかねません。
そのため、上司の気分次第で仕事を進め、その場の雰囲気を読むことが日常的でした。
-まさにパワハラの典型的な例ですね。でも同じように悩む人は多いでしょう。相談できる部署はありませんでしたか?
3月、期が替わるときに総務に相談しました。
「もっと適切なマネジメントが必要です」と。
しかし、その時点で上司は4月に異動する予定でした。
私が勇気を出して相談したにもかかわらず、何も変わることはなく、私は「組織に抵抗する人間だ」というレッテルを貼られてしまいました。
新しい上司も同様の押し付けタイプでした。
チームには経験の浅い社員が多かったため、私の仕事量はむしろ増えました。
業務量は変えずに「残業ゼロ」を求められた
-状況は悪化の一途をたどっているようですが、それでも8年間も耐えたのはなぜですか?
仕事自体にはやりがいを感じていました。
多くの出張があり、全国の営業担当者からの問い合わせが絶えない忙しい部署でしたが、その問い合わせを受けることで営業担当者が助けられるのを感じていました。
誰かの役に立てること、大切な仕事であるという自覚がありました。
チームも私が支えないと回らないと考え、毎晩深夜まで働いて仕事をこなしていました。
-仕事自体にやりがいを感じていたのですね。それでも転職を決意した理由は?
新しい上司から突然、「明日から残業をゼロに」と言われました。
私の長時間労働が問題となり、人事から注意を受けたようです。
しかし、それは非現実的でした。
全国の営業対応をし、お客様に迅速に対応するためには、ある程度の残業が必要でした。
それでも上司は「ゼロに」と言いました。
私にとって8年間にわたって頑張ってきた仕事が、ただの残業時間だけで評価されてしまうのは辛かったです。
このままでは仕事が中途半端になり、私の存在意義が薄れてしまう。会社を去る方がましだと決断しました。
ストレス耐性を評価され、順調な転職活動
-転職活動を始める際、不安はありましたか?
会社の雰囲気が特殊だったため、この経験が他で通用するか不安でした。
仕事の進め方や考え方が異なるだろうし、時代も進歩しているだろうと考え、これについていけるか心配でした。
-実際に転職活動を進めてみて、その不安はどうなりましたか?
意外にも順調でした。
在職中は転職活動が難しかったため、退職後に始めましたが、面接のスケジュールが忙しいくらいで、書類選考を通過することが次々にありました。
逆境でも立ち向かう姿勢やストレスに強い性格が評価されたようです。
長い間苦しい状況を耐え抜いたことが、実を結んだようで、私の努力が報われた気持ちです。
-新しい職場は異なる業界や商材ですが、過去の経験を活かせていますか?
営業チームとの連携経験や企画力を活かしています。
以前の会社とは違う効率的な方法に慣れるのは難しいこともありますが、会社の方針が明確で期待されている役割が明確なため、環境は楽です。
今後も順応していく自信があります。
転職をもっと早く考えればよかったと思うくらい、転職は良いことばかりですね。
長い間自分に合った場所を見つけるのに時間がかかったと感じます。
まとめ
仕事は楽しくやりがいを感じるものでも、会社の古い風潮や環境の厳しさに耐えながら働く人は多いでしょう。
皮肉なことに、困難な状況で培われたストレス耐性や折れない心は、大きな財産となります。
これらは努力して身につけることができるものではなく、他の企業から高い評価を受けることがあります。
厳しい状況の中で自分の考えを持ち、妥協点を見つける経験は、次の仕事を探す際に無駄になることはありません。
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